My mother is 87 years old and I am 55 and we are Autism but new to this #1.

My mother is 87 years old and I am 55 and we are Autism but new to this #1.

Aloha My name is Kailua Oten. I like to share with you my experience with Autism life. I was diagnosed with Asperger’s or Autism at the age of 50 years old. I consider my new Asperger Me as 5 years old. I grew up in 

#1. 87歳の母と私。アスペルガーの母を持った娘の回想録。 その1。”母が自覚症状が無いため、被害を受ける子供のケース。”

#1. 87歳の母と私。アスペルガーの母を持った娘の回想録。 その1。”母が自覚症状が無いため、被害を受ける子供のケース。”

アロハ。 カイルアお天です。”87歳の母と私。私達二人とも正真正銘のアスペルガー。 しかしこのことに気づいたのは、私が50歳になってから。 私も母も自覚症状のないまま、傷ついたり傷つけられたりしながら生きてきました 。 このブログを始めたのは”私たちの姿をシェアすることで 、同じように発達障害、学習障害など目に見えない障害のある方、またそのご家族にアイデアや前へ進む力になってほしい、メンタル・ヘルスという見えない障害を理解していただくことで、私たちの社会ががより住みやすい場所になっていければという我が母、87歳のリクエストにより製作することにいたしました。    今回コロナかで3年ぶりの母との再会。私達母娘が自らの55年を振り返りながら、これまでの、そして現在の私たちの姿をご紹介させていただきます。 私は現在55歳。母は87歳。 母も私も自分達がアスペルガーであることは私がハワイで緊急入院でPTSD アスペルガー自閉症スペクトラムその他諸々と診断をされる時まで全く知りませんでした。周りから見たら、変わった親子だと思われていたのはわかっていましが、自分でどうすることもできず、母の周りにいると、いつも私が気づいたら怒りまくり、”悪い人”に自然になってしまうことで、絶望を感じて日本から出るしかなかったのは事実です。 母はいまだに私がわがままで気性の激しい性格で、無責任に勝手に出ていったということになっております。 もちろん、言った方は忘れてるでしょうが、言われた方はその場にいる事は難しい。 しかし、それが理解できないのがアスペルガー。 他人の立場や気持ちが理解できない。これは典型的な症状でもあります。 なので、日本からアメリカに移住することを決めた時。 あのときに世間の言うことを聞いて日本にいたら、私は間違いなくもっとひどいメンタルとなり、この世にいなかった気もします。 それくらい、アスペルガーの母とアスペルガーの娘が生活することは簡単ではないと言うことでした。 典型的な症状としては、彼女は立場の弱い私を悪者にしてしまうと言うことです。 例えば、私は何も起きないのに急に大声を出したり、怒ったりしたことは一度もありません。 つまり原因があるということ。 そしてその原因は常に母といる時にだけ起き続けるのです。 しかも、物凄い激しい形となって。 それは延々と繰り返す母の、私に対する誤解とそのことを表現する言葉にあります。 河内で育った母の自己防衛反応のお口と一人っ子の平和ボケ昭和に育った私。 子供の頃は太刀打ちできず、近所を歩きたくないと思うほど家は居心地の悪いものでした。  家つき一人娘、しかも母一人、子ひとり。 わざわざアメリカまで出て行くにはそれなりに理由があったのです。 私の青春時代は決して振り返って思い出したくなるものではなかってようです。ほとんど記憶が消えています。 アスペルガーは遺伝が強いものです。 このことは母や叔母を見ていたらその特徴がモロに出ているので、今のとなっては簡単に理解できます。しかし、当初の私達には知る由もなく、ましては私は子供。 一方的に悪者になって行くだけの人生は、決して明るい子供時代とは言えませんでした。  母はいつもいつも、どこにいても私を愛してくれていることは事実です。 でもだからと言って、母の出す”毒”は私にとっては愛と言うにはあまりにも苦しく、毛穴から入って身動きができないほどでした。 また、人生が自分が歩く前に、良いことも悪いことも彼女のストーリーが既に成り立っていて、外を歩くことも恥ずかしい子供時代。彼女の妄想が私の世間のイメージとなっていることを知り、近所の人と目を合わすことを小学校の時に辞めてしまったのを覚えています。惨めでした。 子供の頃は誰でも、親から学んでいきます。 そして、自分を守る術はありません。  彼女の一つしかない真実、正しいことは一つしかない。と言う頭の構造はまさに、アスペルガーそのもの。 しかし、そんなことは考えることも練習することもなかった母には、いつも他人が何か危害をもたらしたという被害者モードの妄想がつきまとっていて、私はその妄想を社会の現実と勘違いしてしまったことは、今もちょっぴ、私の生活にパニック障害という形で影響しております。    父が亡くなってからもほとんど世間に出ることがなかった戦時中の育った母に育ててもらった時代。 自分と娘が別の人格であるということが、理解できないアスペルガーにありがちな”境界性パーソナリティ障害”の症状の強い母のもとで、他人との距離がわからず、私自身もまた夫や仲良くなった人に頑張りすぎて、結果、相手に嫌な思いをさせ、自分も孤独になり、うつになってきました。 と言うことで今回は、アスペルガーの母娘の私達がどうして別々に生活するようになったかという私の心の中を少しご紹介しました。誤解のないように、言っておきますが私は母にちゃんと感謝しています。  だってこんなに、アスペルガーなのに今までほとんど病気せずに頑張って生き抜いて、今もまだ私にくっついて何かしようと頑張ってくれてますもん。 でも、もし次回もアスペルガーで母がお生まれになったらぜひ、こんなに疲れる生き方でなくもっと、自分も周りも楽に生活できる柔軟性やおおらかさを身につけてこれたらいいなあ。とひっそりと祈っています。もしかしたら次回は私が母で彼女が娘になっているかもね。 (笑)         

五木の子守唄

五木の子守唄

五木の子守唄 1. おどま盆ぎり 盆ぎり 盆から先ゃ おらんど 盆が早よ来りゃ 早よもどる 2. おどまかんじん かんじん あん人達ゃ よか衆(しゅう) よかしゃよか帯(おび) よか着物(きもん) 2” おどま いやいや 泣く子の守にゃ 泣くと言われて 憎まれる   3. おどんが打死(うっちん)だちゅて 誰(だい)が泣(にゃ)てくりゅきゃ 裏の松山 蝉(せみ)が鳴く 4. 蝉じゃ ごんせぬ 妹(いもと)でござる 妹泣くなよ 気にかかる 5. おどんが打死(うっちん)だば 道端(みちばた)いけろ 通る人ごち 花あぎゅう 6. 花はなんの花 つんつん椿 水は天から 貰い水

女性のアスペルガー。私は50代になってハワイで発達障害という事実を知った。”障害者だった?!”

女性のアスペルガー。私は50代になってハワイで発達障害という事実を知った。”障害者だった?!”

”自分の障害を受けれるまでの私”はとても孤独な道を歩いてきました。” ハワイで救急車で運ばれて、ようやくわかった。”PTSDと一緒の発見された私のアスペルガー自閉症スペクトラム” 今までの自分の分までようやく泣けた

Honolulu City LightsSong by Keola Beamer

Honolulu City LightsSong by Keola Beamer

Honolulu City Lights Song by Keola Beamer Lookin out upon the city lightsAnd the stars above the ocean Got my ticket for the midnight planeAnd it’s not easy to leave again Took my clothes and put them in my bagTried not to think just yet 

What is WRAP method

What is WRAP method

Let’s discover WRAP in the United States and see how we practice in our everyday life One of my Japanese friends, who established her community on her website -Mental Health Surval channel , as a journalist, Tsukkie, introduced me this program called”WRAP”. I have been 

そのままで幸せになれるママの姿って発達障害児には最高の先生です。

そのままで幸せになれるママの姿って発達障害児には最高の先生です。

私が自分の発達障害に気づいた時には既に50代になっていました。 ミドル・エイジの素敵なバイリンガル・メンタル・ヘルスを目指すマダム・マーメイド・倶楽部会長、カイルアお天です。 私は数年前まで自分が発達障害であるという事実を知りませんでした。 数年前、緊急入院に至るまで、単なる凸凹のある鬱持ちの人間だと思い苦しんでいました。 ところがごく普通のアメリカ系白人の現在の夫と再婚したのをきっかけに、私の普通は彼の普通ではないという日々のヅレの中、結果的に私はメンタル・ヘルスで生活に支障あり。ということで障害者となりました。 それから、数年をかけ自分が発達障害、アスペルガーであることを受け入れ、理解し、学びながら発達中で、孫もできるような年齢で自分を育て直しております。自分の足で立つことは、別にものすごいことができるようにならなくて良いと思います。 私の母は私の障害を知らないまま、”一生懸命”をキーワードに私を育ててくれました。 当時は”発達障害”ということは知られていないところで生活しておりました。 そんな中、もし母が私を今育てているならと、役に立ててもらえそうなネタをここに書くことにしました。 きっと、母もこれを読みながら、それなりの意見が出てくることでしょう。 発達障害って極端に得意なことはあるけど、結果的に人間関係でそれが活かせなく、欲求不満と自身損失にも陥りがち。特に両親に経済的余裕あると要注意。お金で解決できないことを、教えてあげられることは非常に大切だと思います。 発達障害があっても、政府のお世話や障害者というラベルを貼らずに生きていくにはやはり、人間関係だと、障害者となってしまった今だからこそ思います。 いずれにせよ、手に職の次に、人を慈しむ心、人に頭を下げて何かを素直にお願いできる能力はアイキューより大切ですよ。